いのちの本質を揺るぎなく、見る。
「多様性を祝福する」
私はその言葉をよく使っている。
それは例えて言うなら、
花畑で様々なカタチ、様々な色合いで咲く花々を見て
この世界の美しさ豊かさに感動する感じ。
と、いうことを私はずっとやってきていた。
(私は大きな世界を感じるのは得意だったから)
でも、それはあくまでも俯瞰であって、
果たして私は一つ一つの花々を
どれだけ見て
どれだけ感じて
共に振動してきたのだろう。
と、いうことを年末からずっと考えていた。
今まさに咲きそうな、ふるふると震える蕾や
虫に食われて、欠けている葉っぱや
時期を終えて少しずつ朽ちていこうとしている花など・・・・
それぞれの存在をどれだけ感じていたのだろうかと。
それについては年始のブログにも書いた。
「分離感と孤独感。そして抱擁。」
昨日のブログでもシェアしたけれど
自分の中の善悪の枠がどんどん消えてきたことで
感じ方が少し変化してきた。
たとえもがき苦しんでいたとしても
たとえ短い人生だったとしても
すべての人の
すべての瞬間が愛しく
どんな状況であってもそれは尊い。
すべてのいのちが彩り豊かで
尊く美しい。
ということが、
以前より深く感じられるようになった。
「広く、浅く」ではなく
「広く、深く」
すべてを抱きしめ、共に振動する。
悲しみも、痛みも、苦しみも、切なさも
それはそこに愛があるから。
傷つくのも、大切なものがそこにあるから。
存在そのものの愛しさ。尊さ。
言語化がまだうまく出来ないのだけど
その深い振動が伝わって来る。
それを感じた時、実はわかったことがあった。
ちょうと1年前、フォトグラファーのかっすーことKasumi Nakanoyaさんに
私のプロフィール写真を撮ってもらった。
そのとき、かっすーがメッセージをくれた。
「そこに写っているのは、たぶん写真として
インパクトのあるものではありません。
ただ、ただ一人の女性を写したつもりです。
まわりのみんなが徳子さんをイメージする時、
人それぞれの印象があるかと思います。
それを一切排除し
昔から知ってるひとも
はじめて知り合ったひとにも
“普通”のひと
なのだということを
あらためて感じてほしい…
と同時に
熱いハートの持ち主だということや
内側からみなぎるエナジーを
感じ取ってもらえたら
という
僕の勝手な想いを込めました。
ひとことで言うと二年後くらいの徳子さん!?」
って。
そしてこの写真を見た珠ちゃんは涙が出たそうで
「シンプルに徳ちゃんの人間が立ってるんだ。
かっすーがまっすぐに徳ちゃん
(の外見を超えた存在、存在の力をきっちり受け止めて)
あらわしてるから、理屈抜きでいきなりハートに来る。」
と言ってくれた。
「この写真は徳ちゃんのど真ん中にいる写真なんだよ」って。
でも私は自分のことなので
二人が言っている意味がよくわからなかった。
それがね、今回色々学びが進んだ時に
自分の写真を見てたら涙がとめどなく溢れてきた。
ちゃんと自分の中心にいる私が、
ど真ん中のまま、いのちの輝きをまっすぐ見ている写真。
写真の中の私が今の私をまっすぐ見据えていて、
ダイレクトに自分にそのエネルギーが伝わってくる。
かっすーが撮ってくれた私のエネルギーというか本質がわかった。
こんなすごい写真だったってやっとわかった。
今まで私はカタチを見ていたんだなぁ。
「真理のフェイスキーパー」と名乗っていたけど
今まで私が見ていたのはまだまだ浅かった。
カタチを越えた、本質、いのちの輝きを
まっすぐに揺るぎなく見続けていくことを
写真の中の私が、教えてくれた。
泣けた。
自分の中で深いところで何かが大きく変った。
振動していた。
客観的に見たら自分の写真見て泣いてる人って
相当変だけどね。笑
本人がよくわかってなくても(笑)
その人の未来や
その人の本質を映しだしてくれるフォトグラファー
Kasumi NakanoyaさんのHPはこちら
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(私のHPの写真はほとんどKasumi Nakanoyaさんによるものです)
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