同じ日本語なのに伝わらない訳 言葉にも次元がある ≪声と言葉②≫

同じ日本語を話しているとは思えない~!話が嚙み合わない!

そんなつもりはないのに誤解されたり、意図しない受け取り方をされた~!

なんだかうまく伝わらない。

そんなことはありませんか?

 

 

人間の3大悩み事は健康、お金、人間関係って言われていますよね。

昔からコミュニケーション関連の書籍は多いし

コミュニケーションをなんとかしようとか、

「伝え方」を学ぼうとセミナーに行く方も沢山います。

 

でも「伝え方」だけでは改善されないことも沢山あるんですよね。

 

 

そのコミュニケーションの大きなズレの原因のひとつが

言葉の「多次元性」であると私は言っています。

 

「多次元?」なんのこっちゃ?と思う人もいると思うので

「視座の違い」「認識の深さの違い」「抽象度の違い」

「それに対する解釈の違い」と言い換えるとわかりやすいかもしれませんね。

 

 

例を出して書いてみますね。

例えば、「知っている」って言葉。

 

 

「富士山知ってる?」って訊かれたらあなたは何と答えますか?

日本一高い山として認識しているだけなのか?

色々な本などの知識で知っているのか?

実際に登ったことがあるのか?

しかもどこのルートでどこまで登って、その空気や土や植物などを感じたのか?

さらには富士山というエネルギーそのものを感じたことがあるのか。

「知っている」には深さがあるわけです。

 

 

よく使われる「わかった」という言葉もそうです。

頭だけで理解したつもりになっているのか

腑に落ちているのか 身体化できているのか

それを人に伝えたり、日常で実践できる状態なのか・・・

全部違いますよね。

 

 

「すべてはひとつ」という言葉。

よくスピリチュアル系の方が口にしてますけど、

じゃあ、何をひとつと思っているんですか?っていう

指し示しているものが違うわけですよ。

おにぎりのようにご飯粒をひとつひとつ外せるけど

集合体として「ひとつ」なのと、

お餅のように完全に融合しちゃっている「ひとつ」は違うわけです。

 

 

抽象度の違いによって「指し示すもの」「認識の広さ・深さ」が変わってきます。

 

 

例えば「秩序」という言葉。

ざっくりと使っちゃいますけど、それに対する認識の深さによって感覚が変わります。

 

 

ある人にとって「秩序」という言葉は

上下関係とかヒエラルキーを思い起こさせられる言葉になっているために

「秩序」が命令とか、義務とか、堅苦しいとか、封建的とか

あまり嬉しくない印象を持つかもしれません。

 

 

一方で、私の場合「秩序」という言葉は、調和という言葉にかなり近く

宇宙の摂理、黄金律、美しい世界のリズムという認識になっちゃうので

美しい調べのような感覚になってしまうのです。

言葉に対する認識が変わると、受け取った時の感覚、

感情、場合によっては想起される身体感覚も違ってきます。

 

 

「責任」も同じ。

「これをやらなくてはいけない」とか「あたえられたもの」と捉えると

プレッシャーに感じたり、窮屈なものになって、

身体や心に拒絶反応が出る人もいます。

 

でも私は「自分で自由選択したことに対して、自分がやると決めた範囲」

みたいな感覚を持っています。

 

 

「秩序」も「責任」も人によって抱いている感覚が違いますよね。

ちなみに言葉と身体感覚、エネルギーもすごく関係があって

この話をすると長くなるので、ここでは詳しく解説はしませんけど

ちょっとした実験をしてみましょう。

 

 

「秩序」でも「責任」でも何でもいいですが

その言葉を口にしたり想った時に

心がキュッと縮こまるような、呼吸が浅くなるような感覚の場合は

自分の中でその言葉に対して制限をかけていたり

何かこだわりや、枠、思い込みがあるかもしれません。

 

そこを深堀りしていくことで、無意識に浸み込んでいた常識なるものや

自分が作ってきたバイアスに気づくことも出来るし

それによって相手の方との認識のズレを生んでいることを発見することになります。

 

反対にその言葉を口にした時に

ハートが開いていくような感覚が持てたらいいですが、

みんなが自分と同じではないということを覚えておくことも大事。

 

 

一つの単語の中にまったく異なる多くの意味や現象が「詰め込まれている」ような多義的な言葉を

人工知能研究者のマービン・ミンスキーが「スーツケースワード」と呼んだそうです。

 

 

つまり言葉を外側から見たら一緒なのに、中に何が入っているかわからない。

様々な意味合いや、認識、その人の生きて来た人生、経験から来た感覚が入っているわけです。

 

同じ言葉を使っていてもズレが生じるのは当然ですよね。

だってその人が指し示しているものが違うんですから。

 

一方でスーツケースワードによってあいまいなままでも会話が成立したり

相手の発する言葉によって自分の内的世界の思わぬところが刺激される効用がある場合もあります。

 

 

なぜ私が「言葉の多次元性」っていうワードを使うかというと

次元・抽象度が高くなればなるほどひとつの言葉の意味が同じになってくるからです。

 

 

さきほど私の中では「秩序」と「調和」がほぼ同意義となっているように

次元・抽象度を上げると「愛」「いのち」「存在」と「智慧」「意識」「光」がすべて同じ意味になってくるのです。

 

 

この感覚はわかりにくいですし、詳しく解説するにはものすごく長文になるので今回は割愛しますが

「言葉には次元があり、具体と抽象では指し示す内容が違う」と

なんとなくわかっていただけたらいいなって思います。

 

 

具体と抽象のどっちがいいとか悪いとかいう問題ではありません。

 

どちらも大切で、両方を理解することが

相手を大切にすることになるし、自分への理解も深まり、自分を深めていくことに繋がります。

 

 

だから「言葉の多次元性」を理解していくことはとても大切だと私は思っています。

コミュニケーションって

言葉の具体と抽象を行ったり来たりしながら交わされるわけですけど

「情報としての言葉」をやり取りしているように見えて

実はその中に含まれている「想い」や「感覚」「愛」とか沢山のものをやりとりしているんです。

 

 

しかも、それが声に載ってなされるときは

その声の中にあらゆる感覚が含まれるんです。

 

だから伝わらない問題も起きるし、トラブルも起きます。

 

でも反対に、少ない言葉であふれるほどの感情や想い、慈しみも伝わったりするんですよね。

 

 

言葉にも声にも、あなたが何を考えているのか、想っているのか、

この世界をどう認識しているのかが全部含まれています。

だからこそ言葉や声って、深くて、愛しくて、面白いんです。

 

 

お伝えしたいことは山のようにありますけど

今日はこのへんで。

ではまた。

 

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