論理性を欠きまわりくどい文章について

意識が混乱してたり、地雷がそこにあると

当然文章は論理性を欠き、まわりくどい。

 

 

ということを先月体験した。

 

 

私は自分で言うのもなんだけど、

あまり論理性が破綻することはない。

 

 

でも昨年末から今年にかけてのグダグダで

そこに向き合う最中、

まさにそのポイントに関わるメールを書いたら

意味不明のまわりくどいメールになっていた。

 

 

翌日客観視したらあきらかに混乱していて

自分で読んでもわけわからん!と思った。

 

 

要するに言い訳、自己正当化と

客観的視点がごちゃまぜになっている。

 

 

 

そして、自己探求により気づきが起き、クリアになって自分でわかったことは、

人は自分の「見たくないポイント」に触れたくないあまり論理性が破綻し、

言い訳ばかりでぐるぐるして、肝心なことは誤魔化すということ。

 

 

しかもそれをやっている最中、本人はそれをやってることに全く気づかない。

気づかないから当然自分が変だと思わない。

 

 

 

まあ、それだけ「怖い」とか「見たくない」とか「傷が深い」とかいうことから起きちゃうんだろうけど、

そういうことをみんなやってるのだということが体験としてわかった。

(実はそれまでそんなこと自分で体験したことがなかった)

 

 

 

そして混乱した状態で状況を説明しようとするとやたら時間がかかる。

(要するにピンポイントで核心を突けないから)

 

クリアになっちゃえば1分で話せる。

 

そういうことなのだ。

 

 

 

すごい仕組みだわ。

 

わけわからん文を見たら

どこに引っかかっているのか

何を避けてるのか

見てあげるといいかもしれない。

 

 

しかも言い訳しないと気がすまないっていうか

それを誰かに聞いて欲しいっていうか、わかって欲しいんだね。

(実にめんどくさい!)

 

 

私の場合は自己正当化してることに気づきつつ

それでも言いたかったという自己心理にも気づいていたから、すぐ客観視に戻れたけど。

 

 

でもそれが悪いのではなく

守りたいこと、ブロック、傷ついてるポイントがあるんだなぁって

あたたかく寄り添い、見守ることも大切ってことだよね。

 

 

体験したことで色々と理解が深まったのでした。

 

 

混乱も無駄ではないな。

 

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