2度目の感情解放に驚愕。絶望と爆発的な怒りに出会う。

この記事は自分の整理のために書くので、長いです。

 

昨年の11月、私は大病を乗り越えた経験を話す講演会まで辿りついたことで
心の奥底に隠れていたものが噴出し始めました。

(さらに純化、成長するため、すぐに新たな段階の学びが始まったのです!
ほんと、宇宙はまったなし!)

 

それは一言で言えば無意識下に押し込められ、凝縮されていた分離感とか罪悪感、善悪とかいうもの。

 

次々と色々な学びが押し寄せて、昨年末から今年の2月位までは身体がとんでもなくしんどくなり、
(と言っても一部の人にしか状態はあかしていませんでしたが)
深い自分と向き合わざるをえなくなり、結果1年かけてずっと自己探求してきました。

 

 

その途中経過に関しては、このブログにも度々書いてあるので詳細は割愛しますが
簡単に言うと「世界の多様性に感動しているのに、個々の状態をちゃんと見ていない」というテーマでの探求でした。

 

 

それに関連して私の持っている大きな課題が「感情と共感」なのですが、
ひっかかっているキーワードは「絶望と孤独」でした。

 

 

私は長年孤独を抱えてきたけれど、真理を学んだことでそれが消えたと思っていました。

でも果たして本当にそうなのか?
子供の頃に抱えていた絶望は本当に消えているのか?
それについてずっと考えていました。

 

 

今年の春の講演の後、自分と向き合っていた時に
自分のお腹の左の上のあたりに、澱のようなものがたなびいていて
それがどうも「寂しさで出来ている」みたいな感覚があり、
それは何なのかを感じようとしていました。

 

 

感情と共感力の低さと絶望の関係。
無意識下から出てくるよくわからない強い拒絶・・・。

 

 

それは小学1年生の時の記憶と関係しているように思えました。
今でもはっきりと覚えている出来事。

 

 

友達が学校で靴を失くした時のこと。
他の子はさっさと帰ってしまい、私も本当は帰りたかったのに
友達に付き合って最後まで靴を探してあげた記憶。

本当はその友達と【100%同じ気持ち】になって探したかったのに
そう出来ない自分を冷たい人間だと責めていました。

 

 

100%同じ気持ちになれない自分に絶望し、自分を卑下していた私。
そして、中途半端な同情や偽善や優しさが許せず、憎んですらいた小学生の私。

校庭で友達と縄跳びしながら、とてつもない孤独を感じていた私。

 

 

でもいつしか、人は100%同じ気持ちになるのは所詮無理なのだとあきらめ
「同じ気持ちになれなくても、それでも同情したり寄り添うことが優しさなのだ」と自分なりに折り合いをつけることで、なんとか自分を許して生きることが出来るようになったのでした。

 

 

そんな子供の頃の自分を思い出しながら、
当時絶望について無理やり折り合いをつけて生きてきたけど
そこにある絶望や孤独が、昇華されぬまま残っているのではないか?

しかもそれに向き合ってクリアしようとするものの無意識にブロックがかかっているようで、
明らかに自分の中になんらかの恐怖があると思われました。

 

 

自己探求を続けて核心に近づいた時、恐怖があってどうしてもブロックがかかるということは、
自己防御機能が働いているので、一人では核心にたどりつけない可能性があります。
(だってそこに行くのが怖くて守っているのだから)

 

 

そんなことを考えていたら突然、2年前に受けた感情解放セッションを思い出したのでした。
それは身体の記憶をもとにブロックに辿りついて解放するもの。

 

2年前に出て来たのは2歳の私が母と祖母の二人に気を遣い、感情を閉じてしまった記憶でした。
詳細はこちらのブログに記録してあります。

 

 

感情解放セッションを行う広島のMさんを思い出しメールをしたところ
なんと!翌日仙台に来るとのこと。
あまりのタイミングに、即セッションをお願いしたのでした。

 

 

そこで出て来たのは衝撃のものでした。

 

 

身体が教えてくれたのは5歳の私。
関係者は幼稚園の先生や生徒、沢山の人。

 

5歳?え?何かあったかな?

 

思い出したのは先生が私を見た目。びっくりするぐらいリアルに蘇った目つき。
私の中にはその幼稚園の先生の名前と目の記憶が強く刻まれていたのです。

 

 

詳しい出来事は忘れてしまったけれど、とにかく私と何人かの幼稚園児が先生に叱られたのです。
それはいわれのないないことで、とても納得のいかないことだったのは覚えています。
先生の言っていることも嘘くさく、さらに子供達も嘘ばっかり。
その時の先生の冷ややかな睨んだような目がとてつもなくはっきりと残っていました。

 

当時クリスチャンの幼稚園に行っていた私は、毎日眠る前に
「イエス様、マリア様、そして神様、仏様、天使様・・・」って見えない世界にお祈りをしている子でした。

 

また、幼稚園の時にたまたま忍び込んだ(迷い込んだ?)幼稚園の隣にあった神父様の住んでいる家と庭が、
小川が流れ、花が咲き乱れ、本当に美しく、光に包まれ、まるで天国みたいで、そこが私にとっての夢の世界で憧れの場所でした。

また幼稚園の近くにあった教会に一度だけ入ってお祈りした時の静かで神聖な空気も記憶にありました。

 

小さな私にとってはその光の世界だけが真実で、
先生も園児も、まわりの人も何もかもみんな嘘くさくて、
光の世界以外はみんな嘘くさくて、
私は光以外の世界を完全否定、全拒否していたのです。

 

 

しかもそれは強烈な感情でした。
私の身体が教えてくれたのは「爆発的な怒り」
そして「失う恐怖」「見捨てた 見捨てられた分離感」

 

 

5歳の私にとっては、本当は世界は美しく光に満ちたものだったのです。
きっと生まれる前の光の世界を確実に心の中に持っていたのでしょう。
でも、この世界の分離を体験して、あまりの違いに激しい怒りと共にすべてを否定してしまったのです。

 

 

その否定はとても強いものだったので、世界や人と共鳴出来るはずがありません。
誰かと共鳴しようとしたり、自分の感情を開こうとすると
その時のとてつもない怒りや絶望と対面しなくてはいけないので
おそらく生きる為に、感情をブロックする装備を身につけたのだと思うのです。

 

きっと、誰よりも繊細だったから。

 

激しく感情が動きそうになった時は瞬時にシャットダウン機能が作動し、感情が0になり、
衝撃的なエネルギーはダイレクトに入らないようにフィールドに緩衝用クッション機能を装着しました。

 

きっとそうしないと生きて来られなかったのだと思うのです。
幼い私は、真理を学んだ今のようにそこから次に進むことが出来なかった。
自分を守るので精一杯だったのでしょう。

 

 

世界を否定しているから人と共鳴出来ず、
そんな自分を責めて、それがバレないように優等生を装い、
先生や大人をバカにして、「先生なんて敬語使ってればチョロイ」と冷ややかに扱い
装っている自分が誰よりもイヤで、自分も全否定していた小学生の私。

なんだかとてもせつないです。

でも子供なりに必死で生きていたのだと思います。

 

 

やがて成長し、
大きなもの(社会とか、政治とか、医療業界とかいった体制的なもの)にやたら怒っていたのは
きっと心の奥に押し込めていた爆発的な怒りがそのように変換されていたから。

個人にはまったく腹が立たなくて、嫌いな人が一人もいなかったのは
個人と対峙して自分の感情を解放するのがきっとこわかったからです。

 

 

セッションで私は5歳の私と対面しました。
幼稚園の制服を着て、ベレー帽をかぶり、砂場でしゃがみこんでいる小さな私。

 

その私を今の私が抱きしめて伝えました。
「大丈夫。本当はね、この世界は愛と祝福に満ちているんだよ。」って
(祝福って言葉は知らなくても、そのエネルギーを伝えたのです。)

 

 

 

やがて5歳の私は顔を上げて、立ち上り、太陽をまぶしそうに見つめていました。

 

そうしたら、5歳の私にとって遠くにあった白くて美しい光の世界が
気づいたら優しいピンクがかったあたたかくて柔らかな光となり、私を包んでいました。

身体が急にあたたかくなり
先生も園児もすぐそばにいるような感覚になったのです。

 

その体感覚を持ったまま、今の私に戻ってきました。

 

 

 

 

考えてみれば、私にとって美しく調和のとれた天国的な光の世界は
ずっとずっと自分が知っていた世界で、それが常に私とつながり
私にとっての真実であり本質だったし、
それがあったから私はどんな時でも生きてくることが出来ました。

 

そして昔から私が、たとえどんな状態の人の中にも光を見ることが出来たのは
この光の世界がゆるぎなく自分の中にあったからだと思えます。

 

私が心の奥に押し込めていた怒りや分離感や恐怖は
それは解放すれば、ひとつに溶けあった確信に満ちた、包み込む慈愛へと変わるもの。

 

ずっと私がそう在りたいと思っていた在り方。
すべての人と深く共鳴し、ともに振動し、すべてを抱きしめる。
その七次元の感覚に開いていくための学びの経験だったのだとわかりました。

 

 

人はそこまでして、一番望むものを遠くに追いやり
手に入らないようにして学ぶのだと、あらためて思いました。

 

 

2歳で感情を閉じ
5歳で絶望し、世界を否定し、
子供らしい子供時代を生きてこなかった私。

 

 

自分にとって暗黒だった小学校中学校時代。
楽しいことも沢山あったはずのに覚えているのは
ほんの少しだけで、それは全部ネガティブなことだけ。

 

高校2年でヘッセの「デーミアン」の中にあった
「人は本当の自分になるために生きている」という言葉に啓示を受け
ぶるぶる震えながら涙を流し、生まれて初めて自己肯定をした私。

 

やがてロックに出会い、救われ、自己解放を覚え、どんどん変化していきました。

 

 

そして真理に出会ってから私はものすごく変化し、別人となり
どんどん無邪気になっているのです。

子供から完全にやりなおし。

 

特に今年はまさに生まれなおし、リボーンだなって思っています。

 

 

これからの自分がとても楽しみです。
きっとますます楽しくなる!

 

 

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